イタリアンレストラン 勤務日数 1年6ヶ月
17歳 - 高校生
仕事内容:厨房で調理
店:イタリアンレストラン
私はフランチャイズのイタリアンレストランにアルバイトとして初めて勤務した
友達が一人でやりたくないから一緒にやろうとのことだった。
その友達はとても頭が良いので、高校は当然別である。
イベントをやる某施設の近くにその店はあった。武道館に匹敵する?くらいの規模の施設だ。
平日はサラリーマンのみで、ほとんど客はいない。土日祝祭日はイベントがあるとすごく混む。故に平日は暇である。ライブ中はすいているが、ライブ後はとてつもなく忙しい。ポケモンなど子供のイベントがあると一日中忙しい。
厨房での勤務は大きく分けて2つある
パスタ担当と、ステーキ&ピザ担当だ
店長から指示されたのはパスタ担当であった。友達もパスタの担当である。
なぜ厨房をチョイスしたのかというと、友達がウエイトレスは絶対に嫌というのもあったからだ。私は自分の意見はとくになかったので、友達のしたいようにした
まず始めは紙を渡され、メニューを覚えることと、荒い場だ。
始めは覚えるのに苦労した
2週間がたち、 日曜のピークに勤務した。5時間くらいのシフトだった記憶がある
その時間は全て洗い場をしていた。 忙しいから洗い場をずっとしているのだと思ったが、終わって店長からこういわれた。
「早くメニューを覚えないとずっと厨房だぞ」と。
そういわれて、使えないから洗い場だったのかとその時気づいた。
それから1週間たってようやく覚えた
紙どおりに、作業をしていたら、醤油の量を間違え、A先輩に「いいかげん覚えよう(怒)」怒られた。 紙を改めて見返したら紙に記載してあった醤油の分量が間違えていただのだ。つまり私は悪くないが、しかたないと思った。
そして私はA先輩に嫌われる
よくあるパターンかもしれないが、
私はA先輩にサラダの作り方を教わっていた。
そしたら他のB先輩(こいつもまぁ嫌な奴)が、「それまえ教わってなかったっけ?」と口出し、
A先輩「教わったんかい 時間の無駄だな(怒)」と怒られた。
私は100パーセント教わってもらっていないのに、 B先輩の適当な発言によりすごく嫌な気持ちをしたのを覚えている。
半年間、そのA先輩には嫌われていたがなんとか続けられた
そしてついにA先輩の異動がきまり、辞めるまでの1年間はA先輩不在で、
わりと嫌なことも少なく、仕事を続けられた。
他にも嫌な先輩はいたし、ほとんどの先輩が自分の事を使えない人間だと感じていた。
私の推測ではあるが、B先輩やA先輩が私の友達に、あいつ使えないなと恐らく言っていただろう。そう思うと、とても心が痛かった。
友達は要領もよく頭も良かったので、パスタを覚えたらステーキやピザも覚え一人で全て回せるように成長していた。本来そうなるべきなのだが、わたしはパスタしかやらなかった。それでよいと思ったし、ステーキを覚えろとも言われなかった。本当に受動的な姿勢で仕事に取り込んでいた。
私が入社して1年4ヶ月ごろしたら、なんとA先輩が異動で戻ってきた。
私はこの人とはやりくないと思い、退職した
退職日、初めて学校の制服で仕事にいった。
A先輩から、初めて笑って話しかけられた「制服すがた初めてみた」といわれた。
雑談は初めてだったので、そんなに辞めるのが嬉しいのかなと思った。
立ち仕事は辛くなかったし、料理するのも楽しかったと思う。
慣れれば、パスタを一気に3つ作ったり、鍋をぶん回してかっこいい振る舞いをして作るのも悪くなかった。
それに、ウエイトレスに かわいい先輩Nさんもして初恋をした。
片思いだけどね。 付き合っている彼氏が皮肉にもB先輩であった。
退職時、B先輩にNさんに「告れよ! ・・・ どうせ振られるけど」
といわれた
顔面ぶん殴ってやりたい気分になった
私が鍵を忘れて家に帰れなくなったとき、職場にもどり、かぎ忘れちゃったので閉店までいます。と伝えたところ、
朝まで付き合ってあげると、Nさんに言われたときは、本当に最高でした。
高校での昼ごはん、その人を思ってひるめしが食べれなくなり、友達に馬鹿にされたのも良い思い出である
1年半仕事を続けられた (私のキャリアからみれば長いほうだ)
仕事を続けられた理由は、下記のとおりだ。
仕事がなれたこと、
嫌な奴が途中いなくなったこと。
あとは、好きな人がいたことだろう。ウエイトレスは他にも可愛い子が多くレベルが高かった気がする。
辞めた理由は、
嫌な奴が戻ってきたことだ。
以上
やっぱりこう書いていると、続いた理由も明確に見えてくるなぁ。
整理されるしとても良い。